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中央大学五葉会創立五十年に当って

2024.02.24 193

神保博行

わが中央大学は先日の評議員会でも言明されたように、創業百年を迎える準備に取組んでおります。多摩の緑地に新塾の丘をトし、大躍進を成就しましたが、更に、その内容を飛躍させようというわけであります。

五葉会はすでに中大の歴史の半以上を稀にみる高い密度で活動してきたのであって、これは何と申しても偉業と言うほかありますまい。一事が永く続くということは、それだけでもすばらしいことには違いないが、偉業というのはその道統がその間最高の緊張を持続し、創始の初心を堅持したところにあるわけです。半世紀にわたって五葉会が打出した師兄達に接するごとにこの想を強めて居ります。

私は日本の禅を想うとき、愚堂,無難,正受の相続に最も感激するものです。

「二十四流日本の禅、惜哉大半其の伝を失す。関山幸に児孫の在る有て、続熖聯芳三百年」禅の生命はこの覚悟により支えられている。無難の悪辣嶮峻なる鉗鎚下一年余にして透過し了った正受が、飯山の山中に一老人として不断相続の日を重ねたのはただただ児孫に巡り逢う日のためである。私は正受庵を訪ねる度に、正受が白隠の鼻をねじりあげた時の期待に満ちた歓喜を羨しく思はざるをえないのです。

教育に携はる者の一人として、しかも、教育を専攻する者として、禅匠の教育に対する厳しい信念に讃嘆せざるをえません。児孫を打出した禅匠は偉いが、同時に「情哉大半其の伝失」した禅者の無念さを峻厳を貫いた法に対する姿勢に畏敬の念を捧げざるをえないのであります。

この意味で五葉会の至福につらなる身の幸運を感謝すると同時に、大きな責任を感ずるわけであります。前任の高瀬名誉教授は学生時代から東禅寺に参禅し、いまだに正念工夫の日々を送られる老居士でありますが、私は痴頑の無道心、その任に非ざることを怖れる者であります。五葉の鑢鞴の余香に接したいという一念に他ならないのであります。

ただ心強いことは、現在の学生に求法の志が顕著なることであります。私は五葉会の隆盛とは数の問題ではなく、質の問題であると信じて居ります。真人一人の種子の芽に接すれば私の春であります。

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